ミニの歴史 / 今でも衰えない魅力のクラシックミニ誕生エピソード

ミニが誕生した背景には、2つの大きなファクターとひとつの事件があった。

ファクターその1は、天才エンジニア、アレック・イシゴニスの存在だ。彼がいかに天才であったかは、ここで細かく説明する必要はないだろう。登場してから30年以上もミニが生産され続けている事実が、すべてを物語っているはずだ。

ファクターその2として、天才イシゴニスの才能を遺憾なく発揮させた、企業側の姿勢を挙げたい。時のBMC会長、レオナード・ロードは52年に英国の2大メーカー、オースチンとモーリスを合併させた人物である。
当時モーリスにいたイシゴニスは、大企業の合併というわずらわしさを嫌って、モーリスを離れてしまった。そのイシゴニスを合併後の新会社BMCに引き戻したのが、レオナード・ロードだった。ロードが次世代に向けて求めているものを形にできるのは、イシゴニス以外にないと判断したのである。


アレックイシゴニス

BMCに入ったイシゴニスに対してロードが与えたのは、イシゴニス専用の研究室と数人のスタッフだった。後にイシゴニスは「優れたクルマはわずかな人数でつくるべきだ」と発言しているが、ロードの特別待遇がなければ、間違いなくミニは生まれなかっただろう。会社から許された”自由”があったからこそ、イシゴニスは独自の見解のもとに1台のクルマをつくることができたのだ。

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当時の社会情勢

一つの事件とは、56年に起こったスエズ動乱である。西側諸国の石油供給ラインであったスエズ運河を、エジプトのナセル大佐が私有化し、やがて封鎖してしまうこの大事件は、西側に深刻なオイルショックを与えた。英国内では、ガソリンの配給制も実施されたのである。必然的に大型車は敬遠され、人々は燃費の高い小型車を求めた。

スエズ動乱 – 1956年7月にアメリカとイギリスがエジプトのアスワン・ハイダム計画への援助の約束を取消すと,激怒したエジプトの G.ナセル大統領が同月 26日、スエズ運河会社の国有化を宣言したことでスエズ運河の管理などをめぐって発生した武力紛争。

スエズ動乱写真集

このスエズ動乱と同じ年に、イシゴニスはロードの要求による次期小型車計画をスタートさせていた。従って、エジプトの政変が次期小型車に大きな影響を及ぼし、その結果ミニが生まれたと考えることもできる。

市場のリサーチを綿密に行い、大勢の意見をまとめてクルマをつくる日本のメーカーなら、その可能性は非常に高い。しかしBMC及びイシゴニスがそうかというと、答えはノーだ。

なぜなら、ミニはサイズこそ小さいが、そこに詰め込まれた技術の数々は市場が求める以上のものだったからだ。イシゴニスがミニで見せたのは、時代を超越した小型車の姿だったのである。天才の瞳には目の前の事件ではなく、はるか先の時代が映っていたのだ。

全長わずか3メートルのボディーに未来を乗せて、’59年8月、ミニが発売された。

引用参考図書:MINI ALL MODELS

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