ミニの歴史 / オースチンミニマークⅠ誕生からマークⅡまでの10年が黄金期だった

ミニの歴史を分析し、仮に黄金期を設定するとしたら、マ ークⅡまでの10年間(’59年8月~’69年10月) といえるだろう。

その理由の第1は、車種のバリエーションが実に豊富だったことが挙げられる。2ドア サルーン系ではベーシック版にエンジン2種類と、クーパー系ではマークⅡ時点で2種(マ ークⅠ時には最大4種類もあった)の、合計 4種類。これに、高級版のライレー、ウーズ レーもあった。

エステート系はエンジンの種類がひとつ。商業車系は同じエンジンにボデイが2種類。すべてをまとめてみると、マー クⅡ終了時には、ボディ5種類にエンジンが 4種類。各ブランドを含めトータルにすると、 実に16種もあったことになる。現在では1モ デル多車種は当たり前だが、いかに販売戦略とはいえ、当時これだけのバリエーションを有していたクルマは非常に少ない。

BMCの体力が絶頂期だったからできた、ミニのシリ ーズ展開である。 黄金期第2の理由は、モータースポーツでの成功だ。もはや伝説ともなったモンテカル ロラリーの3勝は、ミニを世界的なスターにした最大の要因となった。市販車をベースにして戦うラリーは、メーカーにとって重要な広告の場となる。国際ラリーで勝てば、各国のマスコミが大きく取り上げ、その優秀性が広く知れ渡るのだ。

60年代のBMCラリーチームは、主にミニ・クーパーSを使い、モンテカルロ以外でも数多くの勝利を収めた。なにしろポルシェやフォードなどの大型車を向こうに回しての優勝だから、注目されないはずがなかった。

Paddy Hopkirk(パディ・ホプカーク)

パディ・ホプカーク「Paddy Hopkirk」はミニ・クーパーを走らせて、モンテカルロラリーで1964年に優勝した実績を持つ北アイルランド出身のラリードライバーである。

’64年、初のモンテカルロラリー優勝をミニと共に手にしたパディ・ホプカークは、ラリーやレースで何度も勝った、BMCワークスチームの有名なひとりである。

彼は、東洋の小さな島国でいまだ自分の名前が忘れられていないことに、少し驚いてい る。しかも、モンテカルロラリーの勝利以後に生まれた若い世代の支持については、戸惑 いさえ覚えているのだ。こうしたドライバー+ミニ人気などは、競技に勝つこと以上の、 モータースポーツでの成功といえるだろう。 なにしろ30年近くも前の勝利が、現在の人々に影響を与えているのだ。

One point ミニあるある
BMCのワークスチームは4連勝を達成することはできなかったが、この4年間で雪道でのポテンシャルの高さを世に知らしめるきっかけとなった。1968年からは路面コンディションの影響で他車に一歩及ばず、総合優勝を逃してしまう。そしてこの年に国際ラリーから撤退した。

しかし、悪いときと同じように、良いときもやがて終わりを迎える。

英国の構造的工業不振は、一時ヨーロッパ 最大規模のメーカーだったBMCをも襲い、 他社との合併を余儀なくさせた。’67年、ロー バー、レイランドグループ等と一緒になり、 社名をBLMCに変更。合理化は始められ、 ミニから伝統のブランドが消されて行くのである。

スポンサーリンク

MarkⅡ 時代の代表的なミニのバリエーション

MORRIS MINI [850]

モーリス・ミニ[850](69)
CAR No. M-A2S63-539653A
ENG No._

ミニシリーズは、’67年10月に大きな模様変えを行った。それまでのモデルを優れたマスターピースと称えるため、これ以降のミニをMarkIIと呼ぶことにした。

サルーン系では、ブランド名を示すバッジとフロントグリルのデザイン変更が、’67年以降のモデル、すなわち MarkII と MarkI を見分けるポイントとなる。 また、後方視界を良くするため、リアウィンドウも MarkII から広くなっている。

それまでベーシックなサルーンといえば848ccエンジンを積んだモデルを指していたが、MarkII に移行する際、998ccの9WRエンジンを追加。 当初はいくつもあったグレードを、848cc版をベーシック、998cc版をスーパーデラックスとし、カタログを整えた。

実は、MarkⅡ 登場の’67年、折からの工業不振により、BMCはレイランドグループに合併される形で社名をBLMCに変更。 企業存続のために、いよいよ車種の払拭が始まるのである。

AUSTIN MINI COUNTRYMAN

オースチン・ミニ・カントリーマン(’68)
CAR No. AAWB-1300241A
ENG No.99H249A-H1648

エステートモデルにも、サルーン系が MarkII になるのと同じ’67年10月、マイナーチェンジが施された。 カタログにも MarkII と記された2代目エステートは、サルーン系と同じ改良を受け、特に外観面でシリーズの統一が図られている。

特筆すべきことは、サルーンのスーパーデラックスに搭載された998ccエンジンユニットが与えられ、ここにあるオースチン・ミニ・カントリーマン並びにモーリス・ミニ・トラベラーはすべて1000になった。

大人4人と、サルーンより多くの荷物を載せられるエステートだけに、エンジンのキャパシティアップは当然の変更点といえるだろう。

MarkⅡ になっても、ウッドトリムのあるモデルとないモデルが併売されていた。 このウッドトリム、後から付けるとなると、自動車修理工ではなく大工の腕が必要になるというほど、面倒というか現場合わせの技術を要する代物なのである。

MORRIS MINI TRAVELLER

モーリス・ミニ・トラベラー(68)
CAR No._
ENG No._

オースチン・ミニ・トラベラー同様、MarkII に移ったモーリス・ミニ・マイナー。
改良点はトラベラーとまったく同じで、エステートが MarkI 時代に行った6ガロン(27.28ℓ)のガソリンタンクの位置変えも、この時点では一切触れられていない。

ミニシリーズが’64年9月に採用したハイドロラスティックサスペンションは、画期的なシステムとして絶賛された。 しかし、サルーン系では MarkII にも用いられたこのユニットは、エステートモデルにはついに採用されなかった。

前後のサスペンションをパイプで結ぶハイドロラスティックは、サルーンよりホイールベースの長い(といっても10cm程度だが)エステートには不向きだったのだろうか。

いや、液量の配分や圧力などは少し研究すれば実現可能だったに違いない。にもかかわらず、実現されなかったのは経済的な理由なのか?

エステートのようなモデルにこそ革新を与えてほしかったと思うのだが…。

AUSTIN MINI COOPER

オースチン・ミニ・クーパー(’68)
CAR No. CA2S13-1155366A
ENG No._

後に発売されたクーパーSとの混同を避けるため、スタンダードを付けて呼ばれるクーパー。 ’67年10月、他のミニシリーズと同様の変更を受け、Mark II となった。

MarkI 時代、クーパーSと基本的に同じだったフロントバッジは、ずい分と小さく四角いものに変わり、オースチンとモーリスのブランドによる形状の違いもほとんどなくなっている。

’64年1月、ミニ”スタンダード”クーパーは、デビュー時の997ccエンジンからボア×ストロークを変更した998ccエンジン(9FA型)に載せ換えられている。

その時点をもって MarkII とする文献があるが、メーカーのカタログではやはり’67年10月のシリーズ統一のマイナーチェンジから MarkII と表記している。

MarkI から MarkII への移行がボディ関係の変更に伴っている他のミニと合わせても、クーパーの MarKⅡ 化は’67年と考えるべきだろう。

MORRIS MINI COOPER S

モーリス・ミニ・クーパーS (68)
CAR No. KA2S6-1238132A
ENG No._

MarkI 時代には3種類のエンジンをそろえていたクーパーSだが、’67年10月の MarkII 化の際には1275版のみとなった。 変更箇所は他のミニシリーズと同じ。クーパーS専用のバッジがつくられたが、モーリスとオースチンのブランドによる違いは少なくなった。

すべてのモデルにおいてブランド差がなくなってしまったのは、コストをかけられないメーカーのお家の事情があったからだ。

MarkI 時代後半、モンテカルロラリーでの優勝を頂点に、クーパーSを擁して大活躍したBMCのレーシングチームも、’67年以降は活動の規模を小さくしていく。あのパディ・ホプカークでさえ、クーパーS以外にMG-Bやオースチン1800MkII に乗るようになる。

残念ではあるが、残されたリザルトを見る限り、コンペティションにおけるミニの黄金期はMarkI とともに去ってしまったのである。

AUSTIN MINI COOPER S [DOWNTON/BRITAX]

オースチン・ミニ・クーパーS [ダウントン/ブリタックス](68)
CAR No. KA2S6-1289155A
ENG No. _

クーパーカーズ社とBMCの共同開発で誕生したミニ・クーパーを、さらにチューニングし、BMCに次期クーパーをつくらせたダウントン・エンジニアリング社。 当時ヨーロッパ1の規模を誇った大メーカーにその技術を認めさせたのだから、恐るべき会社である。

クーパーSの登場を機に、BMCワークスチームはこの最強ミニを主力兵器として主にラリーに参加。多くの勝利を手に入れることに成功する。 一方のダウントン・エンジニアリング社は、プロダクトされたクーパーSをさらにチューニングして、サルーンカーレースを中心にエントリーした。

自社が設計に携わっただけに、そのチューニングはまさに絶妙。必要以上にワーアップするのではなく、耐久性とのバランスを重視したそのセッティングは、 彼らが残したリザルトとともに高い評価を得た。

ここに紹介したモデルは、正真正銘そのダウントン社がチューニングしたクーパーSである。

MarkⅡ ’67~69

引用参考図書:MINI ALL MODELS

スポンサーリンク