ミニの歴史 / ライレーにウーズレーこんなにあった個性的で可愛いミニの仲間たち

Another MINI アナザー(もう一つの)・ミニ

多くのミニフリークにとってミニといえば、2ドアサルーンのボディを想像するだろう。もちろん、それ以外のミニが存在していたことも知ってはいるが、一般大衆向けのク ルマとしては、それらアナザーミニはやはり別の流れにある。

ミニの高級版として、ライレー・エルフ、ウーズレー・ホーネットが登場したのは、 ’61年の秋。ミニの人気が高いレベルで安定し始めたのを機に、BMC内部が要望した結果、ミニベースのハイグレードバージョンがつくられた。

「コンセプトに反する」と意見したのは、他でもないイシゴニスだった。大衆小型車としてミニをつくった彼にとって、ミニをいじられること、また、高級=高価なモデルは納得 がいかなかったのだろう。各部のモディファイや装飾による重量増を理由に抵抗したが、結局生産に踏み切られてしまった。

One point ミニMemo
ミニが開発されるときの条件は、燃費が良いこと、経済的であること、大人が4名乗車できること、そして既存のエンジンを使用することだった。

奇妙な成り立ちという点では、モークも忘れられない。当初は軍用として開発されながら、結局不採用になったこのモークは、4年間だけ(’64年8月~68年10月)生産された。

一般大衆からは決して支持されない、いわばゲテモノ(いい過ぎか?)ではあったが、イシゴニス自身はかなりご執心の様子だった。いくつかのプロトタイプをつくって改良を楽し んでいたようで、ボディの前後にエンジンを載せたわかりやすい4WDのモーク”トゥイニー”なるモデルまで製作した。このツインエンジン案は、サルーンでも試され、レースに出場するところまでいった。が、実際にはエントリーせず、プランそのものも中断された。

モークは、BMCが生産中止した後、オーストラリアで生産され、ひとクラス上の1.098ccエンジンを搭載したビッグモークに生まれ変わった。

さらにその後もモーク・カリ フォルニアン、そして現在のイタリア・カジバ社製モークと、スペックを変更しつつ生産され続けている。

イシゴニスが次期小型車にFFを採り入れたのは、そのメリットを最大限に活かす計算があったからだ。それは、ミニ登場からわずか半年後にミニ・バンが登場したことで、容易に推測することができる。

リアアクスルと何ら関係を持たなくて済む FFは、ホイールベースの変更などたやすい。 それはもっともな理屈だが、しかしデビュー半年で別のクルマを用意できるはずはない。 すべては、ミニのデビュー以前に決定されて いたのである。

当時の英国では、FF車は不人気だったという。にもかかわらず採用を決断した時点で、イシゴニスの頭の中にはシャシーバリエーションがあったのだ。

VWやフィアットがやらなかったことを、彼はやってみせたのである。

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Mini Brothers

RILEY ELF

ライレー・エルフ(67)
CAR No.R-A252-778679
ENG No.9WR-U-H27971

ミニシリーズとして、あるいはひとクラス上のADO16シリーズの1モデルとして知られているライレーは、 BMCの前身ともいえるナッフィールドグループに吸収(’39年)されるまで、独立したひとつのメーカーであった。高級車をつくっていたライレーは、 やがてBMCの中の1ブランドになり、ミニシリーズの高級版として復活した。

次のウーズレー・ホーネットと同じ’61年10月に登場したライレー・エルフは、 高級車らしいタテ型グリルと乗用車らしい3ボックススタイル。それに、ウッドやレザーを多用した豪華内装を備えた。クーパー系以上に異質なモデルである。

ミニのデビューから2年後に発売されたこの”高級ミニ”に対して、アレック・イシゴニスは決して賛成ではなかったようだ。 ミニというクルマの存在意義に立ち返ってみれば、イシゴニスが反対した理由もよくわかる。悲しいかな、天才もBMCの社員ゆえに、トップの販売計画を止めることはできなかった。

WOLSELEY HORNET

ウーズレー・ホーネット(67)
CAR No.W-A2SS-1064531A
ENG No.9AG-A-H258

ライレー同様ウーズレーも英国の老舗高級車メーカーとして、1899年(ライレーは1896年)に創立された。 ナッフィールドグループを経てBMCのブランドになる経緯、そして ’61年にミニの高級版として復活するまで、ライレーとまったく同じ道を歩んできた。

ライレー/ウーズレーがミニシリーズの豪華モデルとして位置付けられたのは、そのボディスタイルや内外の装飾を見れば充分に納得できるが、 いち早く改良に着手されたキメの細かさからもその真意がうかがえる。豪華にするあまり車重が増した MarkI は、どのミニよりも早い’63年3月、後にミニ1000に搭載される 998ccエンジンを積んで MarkII に移行。

さらに、他のミニがやっと MarkII になる’67年10月には、ドアヒンジのインナー化やドアハンドル機構の変更等が行われ、 これまた2年も早く MarkⅢ となった。

ライレー/ウーズレーはここで完結。’70年代には再びその名を見ることはなかった。

AUSTIN MINI MOKE

オースチン・ミニ・モーク(64)
CAR No._
ENG No._

英和辞典でMOKEを引いてみると、1.ロバ、2.まぬけ、3.[米]黒人、と出ている。いずれもスラングらしいが、果たしてミニ・モークはどの意に当てはまるのだろう。 本来はコンパクトな軍用多目的車して設計されたこの奇妙なクルマは、なるほどアメリカ軍のウィリスジープのような顔付きである。

だが、幸か不幸か平和の象徴ともいえるミニのユニット(エンジンやサスペンション)を流用したため、ハードな戦場には不向きで結局正式採用されなかった。 それでも商魂たくましいBMCは、ホテルのビーチワゴンやゴルフのキャディカーとして最適、などというMOKEな理由を付けて発売したのである。

’64年8月に登場したモークは、奇異な成り立ちのせいか、全ミニシリーズの中でもっとも短命だった。が、モノ好きは永久に不滅で、 後にオーストラリアでライセンス生産、現在ではイタリアのカジバ社がリジナルに近い形で生産を続けている。

AUSTIN MINI 1/4 ton VAN

オースチン・ミニ1/4トン・パン(762)
CAR No. A-AV7-334215
ENG No. 99H 791P-58355

前記事で紹介した長物エステートモデルは、FFの利点としてシャシー後半を自由にレイアができることを書いたが、その利点を最大限に活かし、 かつ人々のためにもっとも働いたクルマとえば、商業車シリーズのバンとピックアップである。

エステートより早い’60年1月。 普通ならよりコストの低いリジッドアクスルをリアに用いる商業車に、サルーンと同じ足回りを与えられたミニ1/4小ン・バンが登場。
(ミニの部品を流用したほうが安上がりだったのかもしれないが)

1/4トンとは積載重量のことで、カタログでは 5cwt(254kg) とも表示されている。 当時の英国では、サイドウィンドウをふさいだ車両を商業車と見なし、税金を安くする法律があった。 ほとんど鉄板のままの簡素なバンは、当然のごとく、自営業者に”足”として多く使われたが、車両価格と税金の安さから若者にも人気があったという。

BL MINI PICK UP

BLミニ・ピックアップ(80)
CAR No. -(Xyu1000068142)
ENG No. 85H791P186519

バンに遅れることちょうど1年。’61年1月に、まさに軽トラスタイルのピックアップが登場した。 バンと同様、積載重量は1/4トン。エンジンとシャシーの構成もバンと同じで、1,390mm×1,370mmのオープンな荷台を持つのが相違点だ。

当初、ピックアップとバンは、オースチン/モーリスの各ブランドで売られ、ボンネットに付くバッジもそれぞれのブランドのサルーンと同じものが使われていた。

他のミニが MarkII、Ⅲ と移行していく中、商業車系はプレス抜きのグリルや飛び出たドアヒンジなど、いわゆる MarkI のままつくり続けられた。 手抜されるのは商用車の運命ではあるが、シリーズしてはもっとも寿命が長く、’82年の12月まで生産されている。

できるだけ高年式で古き日のミニを楽しみたいなら、 バンやピックアップを選ぶ手もある。

世のため人のために永きに渡って働いたという点で、影の功労者賞をバン&ピックアップに贈りたい。

One point ミニMemo
ミニMk1をベースにしたオーグルSX1000というモデルはミニとは違い、クーペのボディに丸目4灯という個性的なデザインだった。

@GB_MINI_bot

おしまいに

今回は、もう一つのミニということで、ミニの兄弟車としてクルマの概要だけを書きました。また今度機会があれば、それぞれの特徴的で個性的なディティールを詳しく調べてメモしておきたいと思う。

Another MINI

引用参考図書:MINI ALL MODELS

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