ミニの歴史 / ビンテージミニ・マークワン(MarkⅠ)とは

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小型車(スモールカー)の歴史に革命をもたらし1959年の誕生以来、その愛らしいスタイルで約41年間にわたって世界中で愛され、現在でも若い世代からも人気を集めている英国車ミニ。

ミニの誕生から生産終了までの約41年間、モデルチェンジという大きな変更を受けることなく基本のデザインを貫き通した素晴らしいポリシーには敬服させられる。

しかし、時代の変化と安全基準の変更に伴って幾多の各種マイナーチェンジが施されて走り続け、他の車両では絶対に味わうことのできない独特の乗り味と、一目でミニと分かる独創的なスタイルは見る者を魅了して離さない。

そんな時代々に登場したミニのラインナップに存在するMarkⅠからMarkⅡなどのモデルはビンテージと呼ばれ、今もなお人気が高い。愛くるしいスタイルを観察しながらミニの歴史に思いを馳せるのも、ミニファンの一人としてまた楽しいひとときなのだ!

それでは、まずはビンテージミニ / MarkⅠ オースチン&モーリスミニから見てみましょう♪

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MarkⅠ 1959~1967

ミニは英国を代表する2つのブランド、モーリスとオースチンが合併したBMC(ブリテイッシユモーターコーポレーション)によって生み出された。

両社合併によって初のボディ共用化として開発したのが、記念すべきミニのモデル第1号となるオースチン・セブン / モーリス・ミニ・マイナーという当初2つのブランド名を冠した2種類のミニであった。

オースチンとモーリスが合併したとはいえ、その2モデルの生産は別々に行なわれていた。

AUSTIN SEVEN オースチン・セブン(’59)

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オースチン・セブンの名は、同社からから1922年にデビューして成功をおさめていた大衆車と同じ名前が与えられた。

MORRIS MINI MINOR モーリス・ミニ・マイナー

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オースチン・セブン同様に、このモーリスブランドのミニも1929年に既に発売されて好評だったモーリス・マイナーを受け継いだ名前が付けられた。

オースチンとモーリスに分けられた2車種の違いは、ブランド名を示す各所のエンブレム及びバッジのデザインとフロントグリルの形状の違いに表れていた。

生産性の合理化によって、オースチンとモーリスの共用ボディーとして誕生したこれらの2車種は、総じてMarkⅠと呼ばれている。

AUSTIN MINI COOPER オースチン・ミニ・クーパー

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偉大な大衆車と呼ばれたミニには、ライバル車を寄せ付けない走りの魅力も持っており、そのうま味を充分に引きだそうと、理想のスペックを実現するための最適なチューニングが施された。そうして生まれたのが、クーパー親子、父チャールズと息子のジョンのクーパーカーズ計画によるミニシリーズの走りのキャラクターとなったミニクーパーであった。

この計画は、小さな大衆車を 時速200マイル 高速で巡航させることであり、そのために必要なエンジンパワーを55psに設定し、キャパシティーの向上、キャブレターのツイン化等が盛り込まれた。そして1961年9月にAD050・クーパー仕様がリリースされ、走りに関して実に楽しい性格がもたらされたこのミニは、より多くのファンを獲得したのである。

AUSTIN MINI COOPER S [1071S] オースチン・ミニ・クーパーS [1071S]

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先進のFFを見事に完成させたミニは、英国のレースフリークやメカ好きの彼らにとって最高の素材となったのは言うまでもない。

ミニの登場後、街のチューニングショップは、こぞってミニのレーシングパーツを開発し、レースで試しては商品にして販売を始めた。

そんな多くのチューニングショップの中で、ミニのメーカーであるBMCをうならせたのが、ダニエル・リッチモンド率いるダウントン・エンジニアリングだった。
BMCは先のミニ・クーパーを記念限定モデルにするつもりだったが、予想以上の好セールスだったためクーパーの発売から2年後にダウントン社との共同開発により、ミニ・クーパーS[1071S]をリリースした。

ミニクーパーの走りのキャラクターに更に攻撃性を加えたとも言えるスーパーなクーパーの頭文字Sを与えたSの登場は、ミニのコンペテンション時代の幕開けでもあった。

1964年3月、これにコンペティション用として970Sと1275Sクーパーがバリエーションに加えられたが、970Sは1965年1月までの間、たった972台のみが注文生産された稀少車で148km/hを出すことができた唯一のミニであった。

ちなみに、1071Sは1964年8月で生産終了となっている。

970S

970S

1071S と 970S という中途半端な排気量が設定されたのは、いずれもレースのレギュレーションに合わせるためだったが、さすがにレース向けとなるとユーザー層も限られた。

外観は普通のミニ!
だが、その中身はサーキットでこそ真価を発揮する強烈なパフォーマーだった。
しかし、1071S、970S共にわずか1年しか生産されなかったことも合わせて非常に貴重な存在となっている。

1275S

1275S

1275Sは、誰でも購入できる最強のクーパーSバージョンということで人気も高く、ゼロヨン18.2秒の高性能を誇り、1071Sにとって代わるモデルとして申し分無かった。

今日クーパーSといえば、この1,275㏄のエンジンを載せたSシリーズの1275Sが最強モデルとして代表的存在だ。970Sと同じ1964年3月に登場したこの1275Sは、わずか1年で消えた小さな排気量のクーパー970Sとは違って、永きに渡って生産が続けられた。

しかし、クーパーS=1275Sという概念を定着させたのは、単に生産台数の量だけではなく、モンテカルロラリーを制したベース車両であったことにほかならない。

クーパーSでモンテカルロラリーに優勝したドライバーのパディー・ホプカークは、当初、ミニでラリーに出場することに難色を示していたが、クーパーSのハンドルを握り、いざ練習走行を開始したとたんに、こんなに走る車は他にはないと感嘆の声を上げたという。

そんなことからも、パワフルにして機敏、まさにコンペティションのために生まれた最強のクーパーSは、多くの一般ドライバーにも絶大な支持を受けていったのである。

こうしてミニのMarkⅠ系は1959〜67年までに、約1,360万台が生産され1967年からMarkⅡへと変わっていった。

シンプルなスタイルと美しいルックス

MarkⅠの特徴として、まず挙げられるのがフロントグリルの形状である。
これはMarkⅠに限ったことではないのだが、ミニの数多くのバリエーションの差はフロントグリルに明確に現れている。

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MarkⅠのフロントグリルには、通称ヒゲと呼ばれるエクステンションモールが存在する。

その他には、アウトヒンジと呼ばれるボディ外板に装着されるヒンジ(ちょうつがい)がMarkⅠのチャームポイントとされ、MarkⅠ仕様のカスタムを施す上で、テールレンズと同様に必須項目となっている。

タイヤサイズは前後共10インチとされ、MarkⅠスタイルを形成する重要なファクターとして存在する。

モーリス・ミニ・マイナーとオースチン・セブンはエンジンスペックは同一で、フロントグリル並びにエンブレムのみが異なっているだけであった。

1964年にハイドラステイックサスペンションを導入したマイナーチェンジが行なわれ、1967年からのMarkⅡへと引き継がれていった。

おさらいになるが・・・。

MarkⅠが生まれるきっかけを作ったのは当時のBMC会長サー・レオナード・ロードという人物で、一度はBMCを去ったアレック・イシゴニスを1956年に自社へ呼び戻し、新小型車開発の命を下した。この開発プロジェクトはADO15/AD050と呼ぱれ、厳しい条件の下に進められた。

またレオナルド・ロードのプロジェクトに対する意気込みは、BMC社自体を担保に資金を捻出するほどの社運をかけたものであった。

参考資料

MINI MASTER BOOK

この記事は、上記の書籍を参考に一部抜粋してレポートしました。
ミニについてより詳しく読みたい場合は、ご購入をご検討下さい。

次回はMarkⅡについてレポートします。

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